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2011年10月28日(金):人類滅亡・・・してません
けっこう青空は見えていたものの雲多め。 最低気温が空港の3.3℃で「10月中旬並」、最高気温は中標津の14℃で「10月下旬並」。 さして風が強くなかったけれど、外では葉っぱがわらわらと散っておりました。 写真は、「根室国標津群中標津殖民地増画図 第二」 ↓同じ名称の地図 実は上が北海道大学附属図書館蔵のもので、下が北海道立文書館蔵のもの。 てっきり同じものだと思いこんでいたが、先だって町内在住のIさんが所有していた同名の地図と見比べた際に違いがあることに気がついた。 てっきり全く同じものと思い込んでいたのだが、それにしても先入観というのは恐ろしい。 で、 ↓Iさん所有のもの(クリックすると大きくなります) 結構ボロボロなのだけど、大事なところは奇跡的にしっかり残っている。 ※以前、伝成館さんのブログでも取り上げていました ふるさとの礎 なかしべつ伝成館 根室国標津郡中標津原野区画図 大正七年 第三刷 それぞれ見ていくと、発行に関するデータも違っていて、 ↓北海道大学附属図書館蔵 ↓北海道立文書館蔵 ↓Iさん所有のもの ↓これには定価まで書いてある そしてタイトルに「第二」がないのだ。 地図の内容に違いはないようだが、どういう経緯でこうなったのだろう。 今日は、12月1日からスタートの特別展準備、某会議のための下準備、町景観審議会出席、郷土資料のデジタル化作業とそれらの修正、ほか事務処理あれこれ。
by nakakyou_blog
| 2011-10-28 19:30
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Comments(7)
以前、根室支庁で同じ区画図をコピーしてもらったものを比べて見ましたら、微妙に違うのに気が付きました。残念ながら製造年の処がコピーされてませんが、支庁にはまだ在ると思います。
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nakakyou_blog at 2011-10-29 20:13
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殖民軌道つながりのK
at 2011-10-29 20:30
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[根室国標津郡中標津原野区画図]
は、 「第二」が、このページの地図の範囲 「第一」は、略、南北が、零号・北八号、東西が、十二線・二十七線の範囲です わかっている範囲では、このほかに 「根室国標津郡中標津原野増画図」というのがあって、 南端が標津川、北端の一番北が北開陽の北二十四号 西端がマタオチ川、東端が二十一線(「第一」の範囲を除く) となっています(武佐・開陽あたりの区画図はまだ見たことありません)。 どうも、タイトルからの「第二」の抜けは、単なる脱字と考えるほかないのでは? あるいは、元図に「第二」とあるのを、第2版と間違えて解釈して、削ってしまったのかもしれませんね。
ps:Iさん所有の図は、町の資料室で同じ発行日のものをコピーしてもらった物を持っていますので資料室に原本か複写があります。それと、川北から武佐、開陽、俣落49線標津川までのコピーもあります。
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nakakyou_blog at 2011-10-30 00:44
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殖民軌道つながりのK
at 2011-10-30 10:49
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888様
情報ありがとうございます。 できれば >川北から武佐、開陽、俣落49線標津川まで の各区画図の表題と初版の発行時期を教えていただけませんでしょうか? 案外、ネットオークションなどに「ポコン」と出てくることも、なきにしもあらず、ですので。 https://picasaweb.google.com/111053691018859663701/gjIEf#5636943484228969938
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殖民軌道つながりのK
at 2011-10-31 21:07
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[原野区画図]
手持ちの画像から… 川北市街地は「根室国標津郡標津殖民地区画図」M45/02/13初刷 で 南は甲基線、北は乙基線から、西が西9号、東が西6号 東は北9線、西は南10線(甲基線・南10線に、初代武佐駅逓所が記載されています) 開陽市街地は、既報の「根室国標津郡中標津殖民地増画図」M34/08/16初刷・T15/09/20四刷 というもので、 いずれも、道立文書館所蔵でした。 今とりあえず、どうしても知りたいのは、今まだつながっていない、中標津原野 北9号から北、21線から東の、中央武佐あたりまでの台形の範囲 です。 |