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2013年10月22日(火):午前中は草刈り、午後からはPCとにらめっこ[中標津町郷土館]
曇りメインの空模様であったが、午前中は太陽も顔を出していた。 最低気温は空港での6.1℃で「10月上旬並」、最高気温も同所での11.7℃で「11月上旬並」。 そんな空の下、午前中は草刈りでありました。 ↓実施前 ↓実施後 刈った後の草の運搬がキツかった~(=_=) 下の写真は、群生地の道路傍にあったカラフトイバラ(の実)。 午後からは、問い合わせ対応、PCの調整、講義の準備などで、ほとんどPCとにらめっこ状態。 話しは変わって、 下の写真は、郷土館に収蔵されている中標津市街の写真。 昭和27年生まれの方が小学校高学年の頃なので、昭和38・39年頃に撮影されたものと思われる。 左上に写っている映画が撮影年の決定打になるかと思って調べているのだが・・・ウームわからない。 もし分かる方がいましたら、ご教示くださいませ。 by Y
by nakakyou_blog
| 2013-10-22 19:41
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Comments(8)
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殖民軌道つながりのK
at 2013-10-22 20:14
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[映画]
なかなか難しいですよね。 10年ほど前に比べると、日本映画のデータベースもいろいろ充実してきているのですが、なにぶん、昭和30年代終わりころでも、テレビに押されて斜陽化しているとはいえ、年間400本近い映画が封切りされています。 ただ、このころはいわゆる「五社協定」時代で、映画配給は系列化、半固定化されていました。背景のはおそらく「中劇」でしょうから、当時、どこの系列の館だったのかがわかれば、映画のタイトルの方も絞り込みやすいかと思います。
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殖民軌道つながりのK
at 2013-10-22 20:33
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[映画]
とか言ってるうちに、見つけました。 たぶん、これ http://db.eiren.org/contents/01050346601.html 「二人で歩いた幾春秋」 松竹1962年配給 しかし、看板絵描きさんには申し訳ありませんが、この絵、佐田啓二(今では中井貴一のお父さんといった方がわかりやすいか…)には、とても見えませんよねぇ
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nakakyou_blog at 2013-10-23 08:43
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瀬波秀人
at 2013-10-23 22:51
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左の自転車の少年が沖津の哲ちゃんに見えてしかたない。言われる年代には合わないし、バックが中劇でなくてもう一軒の今の白木屋だったらと。
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殖民軌道つながりのK
at 2013-10-23 23:49
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[今の白木屋]
とは、このブログにある昭和35年ころの住宅地図によると、多分「共樂座」というところではないかと思われるのですが、ここも映画館だったのでしょうか?
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殖民軌道つながりのK
at 2013-10-24 00:06
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[映画の配給系列]
中標津に映画館が2館あって、写真の館が松竹系ですので、もう1館は、おそらく東宝系か日活系でしょうか(「5社」の残りは東映と大映です。念のため)。 当時の新聞折込チラシ、郷土館か町史編纂室に残っていないでしょうか?
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殖民軌道つながりのK
at 2013-10-24 00:34
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[あれっ!?]
問題の「…幾春秋」の看板の左に横書きの看板。一番上の行の右端3文字は「クイズ」じゃないかと思うのですが、その左の3文字「共樂座」と読めなくもありません。 加えて、件の住宅地図 http://nakakyou.exblog.jp/15673765/ によれば、共樂座の1軒おいた東隣は「オキツ美容院」。これって、もしかすると…
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nakakyou_blog at 2013-10-26 10:13
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