中標津町郷土館ブログ 学芸員日誌【書庫】
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2014年1月1日(水):謹賀新年[中標津町郷土館]


あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

なお、
中標津町は64歳の誕生日を迎えました。
↓当時の新聞記事
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町制施行時の書類に入っていたものから
↓当時の市街地図
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貼付されていた写真の一部
↓(東)2条通り
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↓共楽座(映画館)
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↓中標津営林署
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↓中標津町役場
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↓中標津郵便局
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↓北海道農事試験場根室支場
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↓線路より引揚者住宅を望む
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1.沿 革

 本町は舊標津村と茶志骨村の一部として、その創始は遠く元禄年間に在り、松前藩の所領に始まり、其の後幕府直轄或は會津藩の支配下に属し漸次開發せられ、明治二年八月開拓使根室支廳の管轄となり、明治十二年標津外五ヶ村戸長役場を標津村に設け、六ヶ村を統治した。

明治十五年開拓使を廢し根室縣所管同十九年北海道廳直轄となり、明治三十五年に至り始めて廣漠たる奥地原野を殖民の地として區画開放し、その名を標津、中標津、上標津、春別原野と稱し、大正十二年四月一日北海道二級町村制の施行に伴い標津村となる。

 昭和二年北海道拓殖計画に抱合され、強力な施策のもとにその開發は俄然活發化して數百戸の集團入地者は東方より漸次西進して、處々に小部落を結成し、昭和四年全面的に字名を改稱して現在の如く整ったのである。中標津市街はこの時建設され、中標津の創造が脚光を浴びて登場したのであるが、昭和五年以來連年の凶作は所詮穀菽單一農業を斷念し、昭和八年主畜農業に轉換したのである。

 町の産業体系は此處に定まり以来隆々たる發展を遂げ、昭和十一年二月役場移轉問題に端を發し、各關係者は熾烈なる分村運動を展開し、遂に其の甲斐あって昭和二十一年七月一日標津村より分離し中標津村が成ったのである。

 然し乍ら住民は尚一段の飛躍を目指し町政施行へと一路邁進し來り、分村後僅か三ヶ年余にして實現を見るに至り、本年一月元旦を期し、根室原野の中枢地に中標津町として誕生したのである。

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by nakakyou_blog | 2014-01-01 10:31 | Comments(0)