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中標津町郷土館ブログ 学芸員日誌【書庫】
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2009年2月16日(月):休まず営業中

朝方晴れ、その後曇って雪も降る。
という天気予報どおりの一日。
ここ数日暖かい日々であったが、今日はキビシク冷えて最低-16.9℃、最高-4.1℃と、まだまだ甘く見てはいけない中標津なのであった。
まあ、昨日まで小樽にいたので余計に寒く感じてしまうのだろう。

写真は、先日札幌にて複写してきた地図(おたから)。
明治44年の「北海道詳図」。
2009年2月16日(月):休まず営業中_e0062415_19562622.jpg

地図は明治30年測量の大日本帝国陸地測量部の「5万分の1図」が基になっているようだ。
当時、中標津は標津村の一部。
明治44年というと、現在の俵橋地区に開拓の鍬が入った年である。
なので、現在の中標津町管内には、養老牛地区の温泉のマークくらいしかないのも頷ける(ポンリウル川のふ化場が載っていてもいいのだが)。
開拓初期の皆さんは、この地図で入植地を確認したことだろう。

次に、
大正15年の「北海道詳図」。
2009年2月16日(月):休まず営業中_e0062415_19564684.jpg

大正14年に開通した殖民軌道の厚床~中標津が赤い線で描かれている。
摩周湖の形が変わっているので、この地図は大正11~13年測量の地図を基にしたのだろう。
養老牛温泉(表、裏とも)、ふ化場をはじめ、地図記号も増えてきている。

そして
昭和2年の「北海道詳図」。
2009年2月16日(月):休まず営業中_e0062415_1957074.jpg

殖民軌道が中標津~標津の三本木、中標津~計根別37線(当幌付近)まで延長しているのが分かる。
と、
標津から海岸線に走るヘンな線に気がつく。
これは・・・、省線(国鉄)の予定線のようだ。
実際には内陸を通ったのだが、海沿いルートになってるではないか。
鉄道が敷かれる前、各地で激しい誘致合戦があったのだが、どういう情報の流出によってこの地図が描かれたのか気になるところだ。

さらに、
昭和3年の「北海道詳図」。
2009年2月16日(月):休まず営業中_e0062415_19571246.jpg

なんとこれには殖民軌道もなければ、摩周湖の形も古いまま。
さらに鉄道の予定線と思われるものについては内陸線とも海岸線ともつかない位置にある。

全て同じ業者が作成したわけではないので、それぞれ少しづつ違うのは致し方ないのだろうが、ただ、情報をどれだけ握っていたかでずい分違ったのではなかろうか。
にしても、ここまで違うというのも興味深い。

今日は、出張のデータ整理、復命書作成、PCの調整、文化財関係事務、伝成館にて用足し、あちこちからの問い合わせ対応など。
by nakakyou_blog | 2009-02-16 19:58 | Comments(2)
Commented by むくむく at 2009-02-16 22:47 x
地図面白いです。摩周へ今日、行ってきました。標津中心の当時のお国の考えがわかります。しかし、当時、根室へ人が集まったんですね。太平洋に近いから?本当は標津のほうが便利??かな。
Commented by nakakyou_blog at 2009-02-17 14:41
むくむくさん
時期的に、たくさんの殖民が入れるような広大な開拓地は、すでに道内でも限られていたのでしょうね。
それと、その昔(道路網が整備されていない頃)は、海伝いが重要な交通路だった、というのも大きいのでしょうね。
なにせ根室は、七夕やお葬式のやり方を見ても函館文化が色濃いですから。