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中標津町郷土館ブログ 学芸員日誌【書庫】
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2009年11月22日(日):晴天の連休中日

朝から晴れ。
最低気温は上標津の-6℃、最高気温は空港の4℃。

写真は、俣落地区から見えた斜里岳。
2009年11月22日(日):晴天の連休中日_e0062415_1833070.jpg

中標津から見える知床連山(海別岳、遠音別岳、羅臼岳など)はすでに雪で真っ白であった。

ただ、町内の山はまだこんな感じ(サマッケヌプリ)。
2009年11月22日(日):晴天の連休中日_e0062415_18341363.jpg

まあ、いつ山々が真っ白になってもおかしくない状態ではある。

昨日、町内の馬頭観世音石碑について取り上げたが、今日は木製の馬頭観音“像”をご紹介。

↓郷土館所蔵の馬頭観音像(魂抜き済)
2009年11月22日(日):晴天の連休中日_e0062415_18372360.jpg

2009年11月22日(日):晴天の連休中日_e0062415_18374177.jpg


年代的に昨日紹介した石碑よりも古いわけだが、すごいのはこの像の同一作者によって作られたさらに古いものがいまだ現役である、ということ。
多分、木製の馬頭観音像では町内最古のものになるだろう。


↓南宮神社(東養老牛)にある馬頭観音像
2009年11月22日(日):晴天の連休中日_e0062415_19332148.jpg

2009年11月22日(日):晴天の連休中日_e0062415_1933321.jpg


なお、どちらも上野佐代吉さん作図、宇野庄三郎さん製作で、この像が第1作であるとのこと。
それと、どちらもヤチダモの大木から作られたのだという。
by nakakyou_blog | 2009-11-22 19:35 | 馬頭観音 | Comments(7)
Commented by 殖民軌道つながりのK at 2009-11-22 21:50 x
[馬頭観音像s@中標津]1/3

「作図」されたという上野さんが、どのような方だったのか、とても興味深いです。

仏像は、大別して、如来・明王・菩薩・天部にわかれ、
菩薩には、観音・勢至・日光・月光など、ものすごく多くのヴァリエーションがあり、かの「お地蔵さん」も菩薩です。
とくに「観音さん」には、文字通り我々衆生の苦しみの声を聞き取ってくれると考えられていたせいか(「観世音」とも呼ばれる)、それこそ無数のヴァリエーションがあり、馬頭観音も、そのヴァリエーションの一つということになります。つまり、本名は「馬頭・観(世)音・菩薩」ですが、天竺時代にすでにあったのか、中国あるいは朝鮮半島で生まれたのか、さらには、仏教が伝来してから日本で生まれたタイプなのかは、よくわかりません。
Commented by 殖民軌道つながりのK at 2009-11-22 21:51 x
[馬頭観音像s@中標津]2/3

ところで、仏像については、儀軌というマニュアルがあり、お寺さんの本尊やその左右に並ぶ脇侍と呼ばれる仏さんの場合には、それに書かれている服装や持物あるいは姿勢どおりに作られることになります。

細かいことはわかりませんが、観音・菩薩の場合
・「菩薩」なので、お釈迦様の出家前、つまり、王子様の時代の綺麗な衣装(天衣-てんね-と呼ばれるスカーフを肩にかけるなど)とフル装備のアクセサリ(瓔珞-ようらく-と呼ばれるネックレスを首に下げるなど)を身に着けている(地蔵菩薩などは例外)。
・「観音」なので、菩薩中の最高位であるせいか、頭の上の冠(宝冠)の正面に、化仏-けぶつ-と呼ばれる如来の像を戴いている
のが原則です)。

Commented by 殖民軌道つながりのK at 2009-11-22 21:54 x
[馬頭観音像s@中標津]3/3

東養老牛の1作目は、
・瓔珞を首にかけている
・手にかけてはいるが天衣を持っている
・なによりも、冠の正面に如来の立像-りゅうぞう-らしきものが見える
ものの、その他の服装は、
・インドの王子様というより中国の貴人風(道教の影響か?)
ですし、
郷土館蔵の2作目は
・瓔珞を首にかけている
・手にかけてはいるが天衣を持っている
・服装は、1作目とちがって、インドの王子様が、華美な衣装をとりあえず脱ぎ捨てたように見える
ものの、こんどは
・冠の正面に化物らしいものが見えない
ということになります。

この2仏の、いわば「いいとこ取り」をすれば、基本的には儀軌というマニュアルに沿っているわけで、この上野さんという方は、基本的にこの儀軌をわきまえていて、にもかかわらず、いろいろの事情、とくに発願者の要望などのため、あえて、これを曲げた、あるいは(円空さんみたいに)こだわらない造形を試みたように思えるので。

Commented by nakakyou_blog at 2009-11-22 22:04
Kさん
この馬頭観音像については、「郷土研究なかしべつ」の第2号、第3・4号に掲載されています。
そこからの要約ですが、
「上野佐代吉さんは明治元年生まれで、昭和4年に東養老牛に入植し、7~8年頃息子さんを残して生まれ故郷の岐阜県に引き上げた。手先が器用で筆字は達筆であった。(郷土館収蔵の)仏像の背中の文字や南宮神社の幟の字(今はもうないと思われる)は佐代吉さんの肉筆である。
両仏像の冠には、馬の頭が刻まれている。
また、離農の際には息子さん宅の仏壇とご本尊を手彫りしたものを残していっている」
という情報が残されています。
ただ、それ以上についてはお手上げ、ですね^^;
Commented by 殖民軌道つながりのK at 2009-11-22 22:23 x
[馬頭観音像s@中標津]

1作目の、冠のも[馬頭」なのですか…。
そのうち、両方の、この部分のアップ画像もお願いしますね。

となると、この2仏、発想とおいうかコンセプトに大差なく、その割にはお顔の雰囲気がまるで違っていて…、あるいは発願者ということは馬の元飼い主の顔に似せたのですかねぇ。
Commented by 殖民軌道つながりのK at 2009-11-23 11:38 x
手許の殖民地大観をみても、当時は、今みたいな「牛」の時代じゃなくて「馬」の時代で、広大な開墾地の農耕のためにも、馬鉄をはじめ交通のためにも、馬は生活に欠かせない存在だったわかで、長年自分たちを助けてくれた馬の供養をしたいと思い立つのは自然の感情ですよね。

郷土館蔵のは、肩や胸が薄くてなんか天平仏みたいですし、
東養老牛の衣の裾は、法隆寺の百済観音を連想させますし、
夜、薄暗いランプの光の下で、上野さんが、内地から大切に持ってきた仏像の図録を開きながら、発願者と「どんなのがいい?」「こんななのがいい」なんて話をして、観音さんの形が決まったんじゃないか、などと微笑ましいストーリーを想像してしまいます。

その種の本に写真の載っているのは、大抵は国宝・重文クラスの仏さんで、もともと金色に輝いていた宝冠も、緑青が吹いたところに長年線香の煙でいぶされて、写真でみると真っ黒なものばかりでしょうから、それにあわせて黒く塗ってしまったのでしょうねぇ。

ところで、東養老牛のお堂の壁にかけてるのは、馬の草鞋でしょうか?
Commented by nakakyou_blog at 2009-11-23 15:47
Kさん
>馬の草鞋
ではなくて、単にヒモをまとめたもののようですね。