今日も晴れ。
その分ちょっとシバレた。
本日も午前中はズーっと事務局内で書類作り。
午後からは一仕事を片付けて伝成館へ。
昨日、ここのIさんから「ちょっと面白い地図があるんです」との連絡があったのだ。
で、その地図を見せてもらう。
・・・???
何かがヘンなのだ。
まず製作者と発行年がわからない。
紙質は妙にペラペラ。
掲載範囲は裏摩周から標津の海岸線の一部までと妙に広く、今、町で作っているものとは明らかに違う。
どうやら大正11~13年の5万分の1地図が基になっているようだ。
表題は「中標津町全図」とあるのだけど、しかし右から書いてあるのだよなぁ。
・・・戦前のもの?、と思ったが、昭和25年に村から町になっているのでおかしい。
記載されているもの見ていくと、養老牛温泉開発の功労者である西村武重さんの造った俣落~養老牛までの道がついている。
まぁ、これは大正年間の地図がベースならば記載されていてもおかしくないか・・・。
次に飛行場。
計根別、中標津、川北と全部載っている。
ここまで全部がいっぺんに見られるのも珍しい。地図の範囲が広いからだろう。
しかしここでもおかしなものが見つかった。
特に中標津空港。
予定されていただけで終戦を迎えた第2滑走路や、それに関係する軍用線、それと森林公園の近くに見たこともない道路が入っている!。
はじめて見た道路だが、予定されていたものなのだろうか?。
一方、中標津空港から上武佐方面への軍用線は道路になっていた。
それから殖民軌道。
昭和13~36年まで運行していた養老牛線が載っているのは何となく分かる気がするが、昭和29年に廃止になっている根室線2次が載っている。
その上、昭和12年に廃止になっている1次線も点線でしっかり載っているではないか。
う~む、なんともマニアックな内容。
さらに地図を良く見ると、昭和30年編入の協和&豊岡が入っている。
そして昭和47年4月に廃校となった当幌小中学校と昭和51年4月に廃校となった上標津小学校が入っている。
・・・ということは、昭和40年代のものか?
しかし、ここまで中標津の交通史が全部載っている地図は初めて見たなぁ。
それにしても解せないことが多い。
そもそも昭和40年代であれば、何も大正時代の地図をベースにつくることはないだろうし・・・、実に不思議な地図だ。
一体どこで作ったものなんだろう。
個人で作るようなものではないし、役場のものでもないようだし・・・。
お心当たりのある方はご連絡ください。